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Posted by TI-DA at

2011年05月28日

真昼の台風

石垣島へ移住して2度目の台風に遭っている。
台風2号「ソングダー」。
中心気圧 945hPa
最大瞬間風速 60m/s
今ちょうど石垣島の東の海上あたりを通過中だ。

さっきまでの強い北の風が、西風に変わった。
西側ベランダは、昨日のうちに重い木の雨戸で防備した。
アルミサッシもしっかりロックした。
にも拘らず、部屋のカーテンはうっすらと不気味に揺れている。
分厚いガラス窓さえも押し付けて来るような風圧だ。
風の塊。そう、塊と呼んでいいだろう。
不定期な周期で塊となって、ぶち当たって来るのだ。
次から次へと襲って来やがる。次から次と容赦なく。
暴風に煽られ、南側の窓の網戸が左右に激しくスライドし始めた。
西の風が一層強まった。
網戸が窓枠を何度も何度も打ちつける。行き場の無くなった網戸は下からの風に巻き上げられた。
次の瞬間、網戸は宙に舞い、そして無理矢理押し戻されるように窓枠に叩きつけられた。
幸い南側の窓には、高さ半分ほどのアルミのたて格子が取りつけてあり、落下して吹き飛ばされることはない。
だが、たて格子の中で弄ばれるように網戸が何度も何度も狂ったように窓ガラスを叩く。

「どうする!」
外は未だ強風と雨が暴れ回っている。
とにかく一旦、ブラインドを外そう。
だが、すぐそこで手が停まった。
窓の外側に架けられている網戸だぞ。部屋の中から外れた網戸を引揚げられるのか?
こういう状況下、まともな判断がすぐにはできずにいた。
台風が最接近して暴風域の中にすっぽり入った今では。
山登りで天気が荒れた時はどうする?
この場合、準備や装備をしているし、避難できる場所を見つけて無駄には動かない。
何を考えている!今はそういう時じゃあない!
嘲笑うかのように、風の塊は捉えた網戸を振り回す。

縦に填めてあった網戸を横にすれば・・・?
こんなことを思いつくまで逡巡する俺が情けない。
とはいえ、圧倒的な自然の驚異の前ではその瞬間、身動きすらとれないこともあるのではないだろうか。
経験は大事だ。また、経験者から準備や装備を教わることも。
台風は必ずやって来る。この島では当たり前のことなのだ。

去年9月の台風では、夜中風の音に怯えながら過ごした。
この5月に、こんなに接近する台風も珍しいと島の人さえ驚く。
真昼に石垣島を掠めるように通過する台風は、勢力をやや弱めながら時速35kmで宮古島へ向かっている。


  


Posted by ほんかー at 17:28Comments(5)

2011年04月14日

石垣の土とともに

 季節は「うるずん」。
今時分が1年で一番いいと言う島の人も多い。
沖縄本島では「うりずん」だが、八重山では「うるずん」。
潤い初め…が語源のようなのだが、冬が終わり大地に潤いが増してくる時期のことだという。
確かに去年夏から住み始めた僕は、石垣でもこんなに爽やかで過ごしやすい日があるのだなぁと驚きとヨロコビを感じている。

この4月から、沖縄県農業研究センターという所で働きだした。
週3日、半年間の臨時職員という形で採用されたのだ。
農業経験は一切無かったが、石垣へ移住してから、こちらの花や植物への興味は膨らんだ。
そして、環境省のパークボランティアで活動していることを面接時にアピールしたのが良かったのか、翌日には面接担当者から「採用したい」と電話が入った。
嬉しかった。
50も過ぎて、面接を受けて…自分でも不思議な人生なのだなぁという思いと、採用を決めて頂いた方々には感謝の気持ちだ。

農業研究センターには、作物研究室と園芸研究室がある。
水稲やサトウキビ、イモなどを肥料や品種別に育成調査、収穫する作物研究室。
マンゴーやパインアップルなどの熱帯果樹は、園芸研究室の仕事だ。
今回、新たに採用された者は二名。
僕は作物研究室に配属された。
研究室と言っても、農業試験官のメニューに従って、赤土に塗れて農作業するだけなんだけど。
でも、これが実に気持ちいい。
作物を1から育てるという実感がある。
全てが初めての経験だから、楽しく勉強しながら働いてるようなものなのだ。


作物研究室と園芸研究室は、平屋の二軒長屋のようになっていて、中央部分の共用トイレと休憩室とで振り分かれる。
先日も園芸研究室の前を通りかかると、収穫したばかりのパインアップルを「食って行け」と呼び止められた。一足先に味わう夏の味覚。
作業机の上で無造作に切り分けられたパインアップルは、果汁いっぱい!糖度も上等サァ!なのであった。

僕のいる作物研究室には、4名の常勤職員と僕のような非常勤職員4名が作業している。うち一人は女性だ。紅一点のヨシミは、作物班リーダーのアトさんに言わせると「ハァ、スピーカーが横にいるみたいにうるさいさァ」だ。
事実、そうなのだが、この男たちの職場ではこの明るさと強さは欠かせない。
それに一番標準語に近い言葉で話してくれるのも彼女だ。
この研究室では、誰もが純度100%の八重山グチで会話するから、話の9割がたはチンプンカンプンなのだ。なんとか単語と表情を読み取って、つられて笑ってしまうのだが、こんな時にも通訳してくれるのがヨシミで、その都度またその場がドカンと沸くのであった。リーダーでムードメーカーのアトさんは、なんと僕と同い年だった。どう見ても島のハルサー(畑人)のニイニイ(お兄さん)なんだけど。

皆んな屈託なく笑い、大らかでよく働く。
朝8時半から夕方5時15分まで。確かに公務員ではあるのだけれど、太陽に合わせ、作物に合わせるここでの時間は、今までの自分にはなかったものだ。
田イモの苗を植え、稲の種籾を直播きした。
知らない世界を自分の体で知る。刺激的な日々が始まったような気がする。


去年の夏は、カエル調査であんなにも苦しめられた赤土だが、
今はこうして石垣の土をいじりながら暮している。
バンナ公園北側の試験圃場からは、今日も於茂登岳の山頂がよく見える。
蒼い空、緑の山々。そして、畑の赤土。
カメラのファインダーは、すっかり覗かなくなってしまったけど、
心の中のアングルファインダーでは、いつでもイイ画を捉えているのだ。
植え付けた作物も3ヶ月も経てば、実になり収穫されるだろう。
その頃の僕は、少しはハルサーのニイニイらしく見えてるかも知れない。



  


Posted by ほんかー at 22:58Comments(0)

2011年03月18日

誕生日と開けられずにいた封筒

その封筒は誕生日の翌日には届いていた。
送り主は、中学校の同窓生。
「誕生日には間に合わないかも」とメールは前もって頂いていた。

3月11日 午後。
大阪の母親に久しぶりに電話する。「たった今、凄い揺れて、それは怖かった」と聞かされたが、それがまさか東北沖地震だったとは!
そして、たまたま友人宅で見たテレビ映像に戦慄した。
今まさに起こっている大津波の映像をヘリは送り続けていた。次々と飲み込まれてゆく田畑、家、車、町さえも。狂ったように加速する黒い津波は、悪魔の使い手のように、何もかも飲み込んでいった…


3日後、あまりに過熱するTVに辟易し、苛立ち始めていた。
「自分は早く日常に戻ろう」 西宮に住む友人のブログにはそう綴られていた。
彼とは共に六甲山でキャンプ中、阪神大震災に遭った。
震災の次に起こるであろう人間の様々な「動き」が僕たち被災した者には解っていた。
それが津波による比較にならない甚大な被害だったとしてもだ。
遠くにいる僕たちは、今まだ何もできない。一人でも多く救ってあげてくださいと救助隊に願うしか。
そして僕も「日常」に戻ろうと決めた。南の島にいても、できることだけを考えながら。

52歳を迎えて、4日後にようやく大きな封筒を開けることができた。
目に飛び込んできたのは色鮮やかな大きなバースデーカードだった。
同窓生の娘さんが作ってくれたもので、色鉛筆やマーカーで彩られた暖かで素直な色使いに心癒された。
「担任の先生のバースデーカードより力入れて描いたのよ」とキャブションされていた。

彼女たちが暮らす埼玉も計画停電が始まっている。



  


Posted by ほんかー at 13:22Comments(0)

2011年02月21日

お引越し

最後にブログ更新したのが、12月の9日。
なんとまぁ筆無精にも程がある。

2011年は劇的な幕開けとなった。
去年夏から住んでいたアパートを出なくてはならなくなったのだ。
それも1月中に。
年明け早々の通達に当惑もしたが、そうも言ってられない。
スイッチは切り替えた!
早速、住処探しだ!
このご時世、ネット検索はありがたい。
石垣にも全国展開している大手賃貸住宅業者が何社かあった。
手始めに単身向け物件を多く扱ってるA社のHPから数件アタリをつけた。
外観の写真を頼りに、バイクを駆って事前チェックだ。
石垣は小さな街なので走っていると他にも地元の不動産屋の物件も幾つか見つけることができた。
iphoneのall-inメモに写真と電話番号を放り込んだ。

これが、1月26日のメモに残っていた。
今は、街なか桟橋通りのアパートに落ち着いた。
思えば、引越しに際して色んな友人仲間たちから力を頂いた。
恵まれている。感謝の気持ちでいっぱいだ。
大阪撤退、という選択は不思議と無かった。
「まだ石垣にいてもいいよ」
気まぐれな神様からそう囁かれているようで。
いつか、このウレシイ友人仲間たちに恩返ししなければ!

少しづつ部屋らしくなって来た。
ここで、リセット!
こっからリスタートだ!!


<オオタニワタリ>
街中どこででも見かけるシダ科の着生植物。
*ちゃく‐せい【着生】
植物などが、他のものに付着して生育すること。
寄生と異なり、養分をとることはない。

八重山では、この新芽を揚げ物や天ぷらにしていただきます。
美味なり。




1月のシロアゴガエル調査で会ったコノハズク。
フクロウの中では最小で、まん丸な小鳥といったところ。
好奇な眼で見られてたんだろうなぁ。


  


Posted by ほんかー at 15:17Comments(5)

2010年12月09日

看板掃除始めました

 11月に入ってずっと天気が悪かったが、この日は違った。
今年の夏、環境省のPV(パークボランティア)に初めて登録し、米原海岸の海中生物観察会、西表島でのサシバと森の観察会に続いて、3度目となる活動が「ヤマネコ注意標識おそうじ隊」だ。
良く晴れた朝になってくれた。もちろん、雨具のポンチョだけはデイパックに押し込んだ。

朝、8時の高速船で西表島・大原へ。
石垣PVからは4名、波照間PV1名が石垣から出発した。
大原港では西表自然保護官事務所のスタッフがレンタカーで出迎えてくれていた。港から清掃活動のスタート地点である大見謝ロードパークへ向かう車中、パークレンジャーから「安全運転宣言カード」の話を聞かせてもらった。


この11月から始まったイリオモテヤマネコ交通事故防止キャンペーンのひとつで、島内のレンタカー会社の協力を得て、利用者に渡されるカードのことだそうだ。「私、○○は、人にも動物にも優しく安全な運転で西表島を走行することを宣言します。」という用紙にサインすれば、イリオモテヤマネコの写真をデザインした免許証サイズのカードがその場で貰えるというもの。レンタカー利用の観光客には「ここでしか手に入らない」いい記念品になるのではないだろうか。そして、宣言したレンタカーの車両には、大きく目立つマグネット式のステッカーが前後に張られる。
どこから見ても、「私は宣言しましたよ」という具合だ。


これはヤマネコへの理解を深めるいい試みだと思う。
今はラミネート加工だけのカードだけど、定着すればプラスティックカードにして、旅の思い出とともに大事に持っていただきたいと話していた。

大見謝ロードパークでは、西表PVと一般参加者、それに自然保護官事務所のスタッフが既に集まっていて、今回の「おそうじ隊」総勢12名がここに揃った。天候にも恵まれ、これはもう「おそうじ」日和だ。
なぜこの時期に看板掃除なのか?
冬はイリオモテヤマネコの恋の季節だという。夏に生まれた仔猫たちも親離れして自立する頃でもあると。
つまり、これから行動が活発になり、道路への出現頻度が高くなるこの時期だからこそ、注意を呼びかけたい。年に1回の清掃活動だが、道路際での清掃作業の様子をドライバーが見て通ってくれるだけで効果はある筈だと自然保護官スタッフは語っていた。
注意標識の清掃範囲は、大見謝ロードパークを起点に西部(白浜)から東部(古見)までを3班に分かれて作業する。
参加者には、軍手と目立つ蛍光反射ベストが手渡された。
今回は清掃だけではなく、3頭のイリオモテヤマネコに取り付けられた発信器で、その位置を探るテレメトリー調査も体験できることになっている。
小夏日和に恵まれて、今日はいい汗をかこう。


おそうじキットを積み込んだ3台の車に、班ごとに分乗すると9月に起こったというユツンの事故現場へ全員で向かった。


ユツン橋を渡って県道が大きくカーブする辺り。道路脇には、涸れない水場があって、カニやカエルが多く集まるのだろう。
イリオモテヤマネコにとっては絶好の餌場だ。夜、カニを追いかけていたのだろうか。それとも道路に潰れたカエルを獲りにでも行くところだったのか。事故はここで起きてしまった。
これまでにも目撃情報が多数寄せられていたエリアだった。

この辺りの道路の側溝は、生物が横断できるようU字溝にはせず、底の浅いV字溝が施されている。幾つかのテリトリーが重なる地域だけに、交通事故防止対策が練られ、ハブ除けネットで水場を中心とする一帯を張り巡らせてあった。
ネットは道路に飛び出さないように、V字側溝と茂みの境目に設置されたが、あくまでも試験的であり、模索中だという。ネットがあることで却って悪影響が出た場合にはすぐに撤去すると話していた。

そう、彼らの生活圏の中に道路が走ってることに変わりはないのだ。さっきまでは、単に標識の清掃活動だと思っていたのが、ヤマネコの生態や事故の現場を知ることで、だんだん関心が高まってきた。これ以上、事故現場を増やしてはいけないと思うのだった。



 注意標識には幾つか種類があって、その設置場所や高さによっては雑草や木の枝が標識を邪魔している所があった。支柱のそばでは気が付かなかったけど、上り勾配やカーブの出口付近など、ドライバー目線になってみないと実際わからないものだ。伸び過ぎた雑草や木の枝は、鎌や高枝ノコギリなどを使って刈り払う。標識の表面は、ポリタンクに入れてある薄めた洗剤で雑巾がけだ。
手が届かない高さのときは、高枝ノコギリのポールの先に雑巾を巻き付けた。まだまだ改善の余地はあるな〜とも思ったが、この不自由さが可笑しくて絶えず和気あいあいとした雰囲気は、そのまま「おそうじ楽しみ隊」でもあったのだ。

道路には、車道と歩道が縁石で仕切られてあるような所がある。こういう所に背の高い雑草がびっしりと生えていた。この茂みの陰にヤマネコが潜んでたとしたら、ドライバーには到底見えないだろう。飛び出したヤマネコが車のライトに眩惑され、道路の真ん中で動けなくなってしまったら・・・たとえ40kmのスピードであったとしても、これは避けられないだろうと思う。
今回は参加人数が少なくて標識清掃しかできなかったけど、こういった草むしりからヤマネコたちを守る手立てはあるのではないか、そう思えてならないのだ。
島の曲がりくねった道をわざわざ直線にする工事も結構だけど、道路の保全は一体誰がやるのだろうと思ってしまう。



標識には、移動式注意標識というものもある。いわゆる立看板で、目撃された地点に直ぐに移動できるといったものだ。
ヤマネコ緊急ダイヤルに目撃情報が入ると最寄りの地点の移動式注意標識をすぐさまその場に移動させるわけだ。標識の上部には畜光式の点滅ライトが取付けてあり、夜間にはよく目立つ。標識によっては、2箇から3箇取付けてあるが、これを一つ一つ点検して取り替えていく。
この頃になると、拭き掃除、刈り払い、点滅ライトの交換など全員で手際よくやれるようになってきていた。時間を見計らって、お茶にしたり、小休止を入れるなど自然保護官スタッフの気遣いがうれしい。久しぶりの太陽の下、首に巻いたタオルで汗を拭い、暫し談笑を楽しむ。テルモスに入れてきたコーヒーが美味い。



高那の辺り。ここをテリトリーとするイリオモテヤマネコ3頭には、発信器が付けてあって、テレメトリー調査を体験することができた。アンテナを頭の上に持って、探るようにして道路沿いをゆっくり歩いた。参加者が代わるがわるやってみるのだが、昼間のせいか、ヤマネコからの発信音は残念ながらキャッチできなかった。

テレメトリー調査の次にアンダーパスの見学に向かった。

道路の下を動物が行き来できるように作られた専用トンネルだ。
島内104ヶ所に設置されている。なかにはセンサーで感知するカメラがトンネル内にセットされている所もある。人間の匂いが出入り口付近に残ってしまうと、テリトリーを放棄してしまうこともあると聞き、注意しながら遠巻きに見学した。
本日の清掃作業はここでタイムアップ。大見謝ロードパークに戻って、昼食だ。


 展望台では、先に作業を終えた班がいて、遅れて戻って来た班も急いで思い思いお弁当を広げた。外で食べる賑やかなお昼ごはんは美味しいものだ。
西表PVで、今回が初めての参加だという女性は、「今までヤマネコがいるのが当たり前だと思っていたし、気にしない生活だった。だけど、この活動で意識が変わった」と話していた。夏のシーズンはスノーケルガイドで忙しい彼女だが、夏が終わって、ボランティアで何か役立つことがあればと参加したそうだ。「海での活動はお手のものだけど、陸での活動はちょっと苦手」と笑った。でも、初参加の緊張もあったけど、PVの人と楽しく会話しながら作業できたことで、次の活動がある時は今回よりきっと行きやすくなったと顔を輝かせていた。


 今回の清掃活動を通じて、初めてイリオモテヤマネコの生態について少しは知ることができた。この島では、ヤマネコに天敵はいないということも。
西表島では子供たちの手作り看板が幾つか見ることができる。
「この先でヤマネコが死んだよ」
この看板を見た時は、さすがに息を呑んだ。
子供たちは大人に何かを訴えかけようとしているのだ。
ヤマネコの事故現場の目撃者が、子供たちであってはならない。
そして、人間がヤマネコの天敵になってはいけないのだ。

今年、ヤマネコの死亡事故件数がこの10月で過去最多件数に並んだそうだ。
人間がヤマネコを救うのではなく、人間からヤマネコを守る。
そう考えた方がいいみたいだ。


何もしない休日だったかも知れない。
だけど、PVという活動があって、動物や植物のことを知る(学ぶ)楽しさを覚えた。そして、様々な活動を通じて色んな人と出会えることも楽しみになってきたところだ。

 (11月下旬の書きかけで終っていた日記を加筆した)


この日、西表島の詰所に投宿。
値切ったレンタバイクで、海沿いの道で日没を迎えた。
残照の中、丸々太った月がすぐそばまでやって来ていた。
自然が織りなすダイナミズムに圧倒された。
向こうの街明りは、石垣島。
眼と鼻の先だが、ここはまるで違う。







  


Posted by ほんかー at 03:10Comments(11)

2010年12月05日

ユタのおしえ



日記とは本来、その日あった事柄などを記して残すものだけど、
元来「その日のことはその日のうちに」が出来ない性分。
だからこうして、その日の出来事を思い起こしながら書いてみることにした。


あの日、連絡を受けたのもバーで飲んでいた時だった。
危篤という報せだった。

僕の人生でこんなにも影響を与えた人はいないだろう。
春一番コンサートのプロデューサー、阿部登。

状況を掴めないまま、石垣で不安な一夜を明かした。
友人や仲間たちからメールは届くが、
何故かこの時に僕は覚悟を決めていたように思う。

翌日になって、小康状態だと連絡が入る。安堵した。
そして、祈ろう、と。
「治るヤツしか入院の見舞いは行かない」アベちゃんは言っていた。
僕は祈った。

大阪の北野病院は、連日多くの仲間たちが集まっただろう。
アベちゃん、すぐにでも駆けつけたかったけど、こんな遠くにいてしもてゴメンね。
メモ帳に「アベノボル ガンバレ」と電報の下書きをした。

次の日の昼、
「あべのぼる昇天す」
の短いメールが届く。
みんなの願いは叶わなかった。

いつもSAXの練習をしている港のそばの公園。
植え込みに咲くサンタンカの花が、斜光に照らされて橙色に輝いていた。
今日の干潮は夕方6時。
サンタンカの花を幾つか摘み取ると、名蔵湾に向けてバイクを走らせた。SAXもそのまま持って行こう。
ユタのおしえに倣って、友人を見送るんだ。


 あなたの大切な人をお見送りするなら、あなたが好きだと思える海岸へ行き、あなたが綺麗だなと思える物、例えば花だとかを引き潮に乗せて流してあげなさい。
 そして、「往くところへ行ってくださいね」と祈る。
 見送った私たちも生くところに行きますよと。




ここから見る夕陽が一番好きだ。
海岸まで降りると、目の前を遮るものは何もない。
砂地を現した海岸線。
潮は静かに岸から離れていこうとしている。
潮位の下がった海面には、落陽が揺らいで映り込んでいた。

今年、10月に友を喪った。11月にもひとり。
そして、またひとり・・・アベちゃんまでをも喪ってしまった。

僕は浮き出たリーフの上でしゃがみ込み、
公園で摘み取ったサンダンカの花をそっと潮の流れに乗せた。
静かに運ばれてゆく花びらを眺めながら、三人、ひとりひとりに別れを告げた。
橙色だった花びらが茜色にも見えた。


最後の夕陽の中、saxを取り出した。
「ダニーボーイ」を吹いてみた。
案外上手く吹けたんじゃないかと思った。
夕陽が雲に隠れるまで、何度も吹いた。
「ラッキーオールドサン」のイントロも吹いてみた。

「ヘッタやの~!」
にちゃりと笑うアベちゃん。
ワタルと遊さんもきっと一緒に笑っていたと思う。




1週間前に起こった出来事を思い起こしながら書いてみた。
ユタのおしえに従って友を見送り、
そうすることがここ石垣島でできて良かった、と今は思えるのだ。
また、心の中で、会いましょうね。



  


Posted by ほんかー at 18:38Comments(4)

2010年12月03日

崎枝に降る星(下)


名蔵湾から道は少し内陸へ切れ込んで行った。
県道沿いにバス停のある小さな集落。崎枝地区に入った。
「御神崎(おがんざき)灯台」の案内板のところで、県道を逸れバイクを倒し込みながら進路を西に取った。
ここから崎枝半島に入る。

夜だというのに視界が広い、いや、視野が開けたというべきか。
目線から上、空がひらけた。遮るものがなくなったのだ。
夏は於茂登岳近辺の山間の調査ポイントが多かったが、
今、東シナ海に突き出す半島に、いよいよ乗り込んだという気がした。
そして、この夜風に運ばれて来る牧草の薫りはどうだ。
昼間の草熅れとは違う。バイクでなければ気が付かなかったろう。
ほどよく夜露を纏った牧草とロール状に巻かれた牧草が発酵を始めたのだろうか、メイプルシロップにシナモンを振りかけたような甘い匂いがした。


崎枝地区のシロアゴガエル調査ポイントは、半島をぐるりと周回する道路と屋良部岳を南北に跨ぐ林道など、約90ヶ所を回らないといけない。
1/10000スケールの地図、実に3枚にもわたる調査範囲だ。
半島北側にある牧草地帯とサトウキビ畑には、特に集中して調査ポイントが密集している。夏の調査の重点地区というわけだ。
ここを早い段階で、切り抜けたい。

海からの風は強いが、リーフブレイクする潮騒を聞くのが心地いいぐらいだ。
11月の夜ですら、寒くない。
ここは、南の島なのだ。
月の位置が変わっただろうか、それとも低い雲が取り払われたか。
気が付けば、冬の星々がだんだん見えるようになって来た。
夏のパイナップル畑で見上げた星空も見事だったが、
崎枝半島で見る冬の星座は、どこか控えめな感じのする素敵な星空だった。
海辺で見る星は、山とは違って、遠くに感じるものなのだろうか。


屋良部林道に取り着く。
集落にほど近い所で「道路封鎖」のチェーンが架けられていた。
奄美地方を襲った秋の豪雨だったが、石垣にも非道い爪痕を残していた。それは山や林道に限ったことではなく、サンゴ礁に至る海岸まで赤土が積もったのだった。あまり知られてはいないだろうが。

調査票に「林道崩落のため調査不能」と記して、岬の方へと向かうことにした。
今回の調査では、夜の御神崎灯台を見るのも楽しみにしていたのだ。
夏でもない、冬の灯台を。


バイクを走らせていると、ふいに風が冷たく感じられた。
山間の集落から海辺へ出たせいか?
いや、さっきまでとは明らかに違う匂い。
瞬く間に雨が打ちつけて来た。
雨粒が音をたてて当たる。
容赦なく、顔に眼に、飛び込んで来る。
ハイビームに映し出された雨は、まるでガラスの細い矢のようだ。
次のコーナーを曲がったら、停まろう、休める所を探そう。
そう思いながら、幾つもコーナーを立ち上がっていった。
デイパックにはポンチョも入れて来ている。
「一時的なものさ」とスロットルを開けた。
とにかく先を急ごう。

半島の周回道路で、一番海に面した所でバイクを停めた。
下の方からは、リーフブレイクを繰り返す波の音が迫って聞こえた。雨は上がっていた。
だけど、一時的に止んだだけかも知れない。
デイパックから大振りのタオルを取り出して、顔を拭った。
ゴアテックスのウインドブレーカーは、また走り出せば乾く。
しかし、迷彩色のカーゴパンツは、そうはいかないだろう。
真っ黒に見えるほど、たっぷりと雨を吸い込んでしまっている。
だが、そんなことはどうだっていい。
このまま調査を続けるかどうか、だ。
ずぶ濡れのサイドポケットからショートホープを取り出した。
大丈夫。パッケージが湿気ただけだ。
zippoを擦ると一発で炎があがった。
湿気を含んだ紫煙を深く長く吸った。
山で雨に打たれた時も、こんな味がしたのを思い出す。

星明かりはもうない。
だけど路面は鈍く光っていた。
そこへ鮮やかなライムグリーンのカエルが飛び込んで来た。
ヤエヤマアオガエルだ。
慌ててデイパックの中から、コンパクトカメラを取り出した。
zippoと変わらない大きさ! いや、それ以上か?
海側の茂みから道路を渡って来て、疲れたのだろう。
何ポーズもカメラに収まってくれた。
コイツの鳴き声は調査中よく聞いていた。
「ピヒョロピヒョ」「ピヒョロロロロ」
歌っているような、楽器を奏でているような、遠くからでも良く通る声の持ち主だ。
時間も忘れて夢中になってシャッターを切っていた。
そうしてしばらく付合ってくれたアオガエルは、道路端のU字溝を何とか登り切ると山側の茂みへと姿を消した。

バイクに跨がって進もうとした時、
海の方から光の粒がゆっくりと近づいて来るのが見えた。
ホタルだ。
目の前を発光させながら悠然と通り過ぎて行った。
夜露ほどの淡く光るホタルは何度も見ていた。
蛍光。黄色と緑色を掛け合わせたような、まさに蛍光色。
明滅もせず、こんなにも大きな光の粒が浮遊するのを初めて見た。
ほかにも来るかも知れない。辺りを見渡した。
だけど、この一匹だけだった。
ホタルは、カエルが去って行った茂みの入り口で、なぜか休むように停まった。
そして、濡れた木の葉の上で、ミスト状の光を丸く灯した。

気になった。
その美しさに引き寄せられるように近づいて行った。
ほんとうに大きなホタルだ。
手の中に包んでみたくなったが、やめた。
ただ、間近で光の玉を眺めていたかった。
何も考えないまま、光を見ていたと思う。しばらくその場で。

ホタルが翔びたって、醒めたように気が付いた。
そうだ、先を急ごう。
いや、待て。
今からこの先の御神崎灯台を廻る?
少し考えて、バイクを始動させると素早くUターンした。
なぜだかわからないが、ホタルが何かを知らせに来てくれたような気がしてならなかった。
来た道を急いで帰った。
せっかく雨も上がって、灯台も見てみたかった。
だが、しかし、ホタルが気になった。たった一匹のホタルが。

追われるように奔った。
県道に滑り込むと一気に加速した。
バックミラーは闇を写すだけだ。スロットルを目一杯あけた。
名蔵湾から離れ、市街地へ向けた頃、やはり雨が降り出した。
そして、市街地に差しかかる頃には恐ろしいほどの大粒の雨となって襲って来た。
もし、あの時、気にせず灯台に向かって走っていたら・・・
携帯電話の電波も入らない、岬のどこかでビバークする羽目になったかも知れなかった。


シャワーから上がると、窓の外を打ちつける雨音はまだ激しいままだった。
ホタルに救われたかな。ひとりごちた。
冷蔵庫を開けると冷えた缶ビールを取り出して椅子に座った。
食器棚の上にあるフォトスタンド。
10月に喪った友がいる。
写真の中で、ヤツはギターを弾きながら笑っていた。







  


Posted by ほんかー at 05:02Comments(2)

2010年11月18日

崎枝に降る星(上)


ハンドブレーキを軽く握りながらセルモーターを始動させる。
4ストロークの静かなエンジン音。
シート下の収納ボックスには、CB(コールバック)装置、
ハンドライトなどのシロアゴガエル調査道具を詰め込んだ。

シロアゴガエル第2次調査が始まっている。
今回から、トラップチェックも調査のひとつに付け加えられた。

石垣市街地の外れ。
夏の調査で、重点エリアに指定された集水枡とその周りのブッシュ、合計5ヶ所にトラップが仕掛けられた。

全長50cm、直径15cmほどの塩ビ製パイプがトラップだ。
パイプは上部と受け皿となる下部とを径違いで差込み、
抜き差しが可能になっている。下部には水が溜まる仕組みだ。
上下2本のパイプのジョイント部分は、径の太いパイプで被せるだけの単純な構造にしてある。
このパイプを上から覗きこみ、シロアゴガエルが罠にかったかどうかを調べる。
もし、かかっていれば上部パイプを抜き取り、捕獲する。
集水枡の中のトラップもブッシュの木の枝に仕掛けられたトラップも、全て立て掛けてセットしてあった。
シロアゴガエルの指は、細くしなやかで器用そうな手をしている。
彼らは木登りも上手く、樹上に泡状の卵塊を産みつけることもあるのだ。
その習性を利用するわけだが、
残念ながら今のところ成果はない。


夜の名蔵湾を左手に眺めながら、崎枝半島へバイクを走らせる。
11月に入って雲に被われる日が続いていたが、この日は違った。
上弦の細い月と湾に浮かぶ漁火の煌めきが綺麗だ。
風を受けながら駆る体に、冷えを感じる季節になった。
海伝いに緩やかなカーブを繰り返す県道。
構わず、スロットルを開けた。


夏の調査では、赤土に塗れた底原(そこばる)ダム南側のパイナップル畑だったが、今回は難なく調査を済ませることができた。
あれほど苦しめられた夏のブッシュだったが、台風と大雨のせいだろう。
すっかり朽ち細っていた。
夏には撓った鞭のような力を見せつけていたが、今では反発する力もなく、簡単に折れた。
農道ではカエルの大合唱に代わって、秋の虫たちが闇夜の演奏会を開いている。
ベッドランプが夜露を照らしたかと見紛うが、淡く小さな灯火を見せるホタルも夏ほどではないがまだいる。

夏の深い緑の世界から、茶褐色に支配されつつある農道やブッシュをCB装置を鳴らしながら歩く。
ベッドランプとハンドライトの明かりだけが頼りなのは、
何も変わっちゃいない。

枯れ枝を踏み割った音が、漆黒の闇に響いた。
その音に思わず全身が動けなく強張ってしまっている。
正直に言おう、縮み上がっていた。
背後からまた別の音。
素早く振り向き、音の出処にライトを向けた。
驚いた野ネズミが、転がるように跳ね飛んで行くのが見えただけだった。

11月になって、明らかに草叢の色が変わっているのがわかる。
夏には出会わなかったハブの保護色に、辺り一帯が染まりだしていた。
苛立ったハブにはお目にかかりたくはない。
一層足音を立てて調査ポイントを後にした。
崎枝に急ごう。




  


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2010年11月08日

シロアゴガエル 秋

夏の『シロアゴガエル生態分布調査』をもとに、第2次調査が始まった。

11月。
内地では晩秋の頃だろうか。
南の島にも秋の訪れはあるようで、それは、例えばサシバの渡りのように動物がその季節の移ろいを知らせてくれたり、
なんと云っても、天候がガラッと変わった。
南の島をイメージする、青い空や青い海がなくなった。

いつもどんよりした曇り空で、風も強く、海は時化の日が続いている。
内地の特異日のように、天高く澄み渡る青空というものがここでは無さそうなのだ。
最低気温も20度以上だし、日中は26度だ。
風は強い、と言っても温かい。


今回の調査から、受け持つエリアが新たに加えられた。
石垣島の西部、御神崎(おがんざき)灯台のある岬一帯、
崎枝(さきえだ)地区だ。
名蔵湾を取り囲む北側の半島であり、崎枝半島の先の方にある屋良部(やらぶ)岳(216m)は、石垣島最西端の山で、標高は低いのだけれど、名蔵湾からの眺望では半島の付け根部分が低く平らに見えるので、その山容は海に突き出した半島において、女性的な美しいシルエットを描いている。

ここは、海ヌケに牧草地やサトウキビ畑、パイナップル畑が丘陵に沿って緩やかに広がる、石垣島でもお気に入りのロケーションだ。
潮風になびく牧草地のグリーンからサンゴ礁に彩られたコーラルグリーンの静かな海がひらけ、空へとつながる深いブルーのグラデーションに、しばしば足を停められる。
なんでもない景色なんだと思う。
でも、ここに立って海を眺めていると、いつのまにか牧草の香しい風が体を包み、心を穏やかにしてくれるのだ。


ヤマハJOGを駆って名蔵湾を駈け抜ける。
西表島に沈む夕陽を追いかけるように。
日没間際のマジックアワーは、思わず心奪われる瞬間だ。


夏のような満天の星にはまだ出会わないけど、
海に近い草原で見る星空は、きっと綺麗だろうと思う。
月も見えない夜空の向こうから、リーフに砕ける潮騒が聞こえていた。


  


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2010年10月31日

八重山手帳2011

島でよく行く本屋さんに、
八重山手帳2011が売り出されていた。
実はこの手帳、石垣に移住した時からずぅーっと欲しくて欲しくて堪らなかったのだ。
夏に引越して来たから、当然その頃には品切れ。
この発売が実に待ち遠しかったのだ。

八重山手帳は、島民に圧倒的人気で、年内には売り切れてしまうというほどの島のベストセラーなのだ。
島のほとんどの人が使うと言われるこの手帳。
「これを手に入れずば島民とは言えぬ」
一人興奮気味の八重山手帳2011ご対面なのであった。



これまではいわゆる手帳サイズしか無かったけど、
今年からA5サイズのものが新たに加わった。
文字の大きさとメモ欄の幅の広さで、
迷うことなく、このノートサイズの方を選ぶ。


手帳を開くと、まず月毎の潮位表(旧暦、日出日没、月齢など)から始まるあたり、島の手帳らしい。
スケジュールが始まる表紙には、八重山手帳2011(シーシー判)と記されいて、シーサーのスケッチ風イラストが描かれている。
ちなみに、手帳サイズの方は(アンガマ判)と呼ばれ、同じようにアンガマのイラストが描かれている。どちらもミンサー柄の装丁だ。
今年から表紙がリバーシブルになっていて、
紺色系と緋色系、2種類のデザインから好みに合わせて使い分けができるようになっている。
シーシー判とアンガマ判は、編集発行元の南山舎が独自に名付けた愛称らしくて、ここにも「島想い」が感じられていい。

この八重山手帳を待ち焦がれていたのは、
島民の証。
ただそれだけの理由じゃない。
とにかくこの一冊を読んでるだけで、楽しくなってくるのだ。
そう、読み物としても常に手元に置いておきたい便利手帳なのだ。
(もし八重山在住なら、ということだけれど)

年間、月間、週間スケジュールは使い勝手も良さそうだ。
そこに、『八重山情報館』という素晴らしい項目が巻末に収められていて、これが読んでいて実に楽しい。
なんと、手帳の厚みの1/3は、この『八重山情報館』で占められているのだ。
情報館の中には、「八重山の暦」「八重山マップ」「歴史年表」
「統計データ」「実用データ」「電話帳」があって、
ひとつひとつ取り上げるとキリがないけど、
とにかく豊富な情報量とキメ細かいガイドがびっしり載っていて、
移住1年目の僕にはとても有難いものばかりだ。

長年愛用してきたサザビーのシステム手帳だけれど、
ここは交代して、島には島の八重山手帳だ。
この1冊の手帳に、来年どんなことが書き込まれていくんだろう。
今年もあと2ヶ月を残すところまできた。
石垣島に移住して、3ヶ月。
初めての冬を迎えようとしている。


  


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2010年10月20日

サシバを見にいく 後篇

サシバは里山などで見かけることができる鷹の仲間だ。

春から夏、全国の里山などで過ごしたサシバは、秋になると次第に南へ南へと移動をし始める。
途中、仲間たちと合流して徐々にその数を増やす。
宮古島や西表島が日本での最後の休息地だと言われているが、その頃には何百何千という大規模な「渡り」となるのだ。
例年だと10月10日あたりからその姿が見られるというが、
今年、本州では記録的な猛暑続きだった。
サシバたちの渡りに影響はないのだろうか。


『サキシマシオウノキ』の船着場から少し下流に戻ると、
中流船着場がある。
ここからは林道を歩きながらの『森の観察会』となる。
船着場からは階段状に整備された山道を登る。
船を降りる時からチームごとにスタートしているので、渋滞なく歩けた。それにしても、子供たちは元気に駆け上って行く。

20分ほどで登りきると仲間川展望台に出た。
ここは、西表島横断コースの林道でもある。
西表島の中央を横断するにはジャングルの中の登山道を歩くしかない。
島の西部・浦内川から、東部・大富集落までの20kmのハードなトレッキングコースだけど、いつかやってやろうと思っている。

テラス状の展望台は、文字通り見晴らしの効くビューポイントだ。
眼下に広がる緑のマングローブ林。
蛇行しながら銀色に輝く仲間川が、亜熱帯の景観を印象づける。
マクロの景観をここから眺める限り、台風の傷痕など微塵も感じさせない。
自然の大きさをここでもまた思い知るのだ。
仲間川を下流に辿ってゆくと、その先は何処までも青く美しい海が広がっている。
石垣島と西表島に跨がる石西礁湖だ。
日本最南端最西端の国立公園が眼前にひろがる。


「サシバが来た!」
その声に振り返り、山の稜線あたりを探る。
PVリーダーである理科の先生が、双眼鏡で覗きながら位置を示してくれる。
10羽のサシバが稜線よりかなり上空で滑空するのを見つけた。
「翼をV字にして飛ぶカンムリワシに比べ、サシバはグライダーのように水平に翼を伸ばして滑るように飛ぶ」と先生が解説してくれる。
参加者からも溜息と感嘆の拍手が沸き起こった。
遠く小さな黒い点にしか見えないが、悠然と滑空するサシバの一団に出会えた。
遥か本州から旅をして今日、西表島に辿り着いたのだ。
西表島には彼らの好むカエルやトカゲは、ふんだんにいる。
夕方にはまた別のサシバ旅団が見れるかも知れない。



展望台からは、参加者をチームごとに車で運び上げる。
つまり、林道を下山する形で歩いてもらおうというわけだ。
1週間前の事前調査でルート決めをした時に、参加者の年齢や体力、天候など考慮した結果、登りルートよりも安全でタイムキープしやすい下山しながらの観察ルートに決まったのだ。

林道のあずまや。
ここがスタート地点となる。
通常ここまで車で上がることはできない。
九州森林管理局から許可をとって『サシバの森の観察会』のためにゲートを開けてもらっているのだ。
ちょうど尾根道にあたる所で、視界も広く雲が割れて陽が差すようになって来た。
参加者とPV(パークボランティア)3チーム全員が、あずまやに揃う。
ここで充分な水分補給を促し、理科の先生をリーダーとする我ら「サシバ」チームはラストのスタートだ。

たいした登りもせず、下山だけするようで申し訳ないような変な気分に捕われたが、これはこれでいいのだ。今回は。


道幅のある林道の下りは、子供たちの格好の遊び場となった。
駆け下りるものや、トカゲを捕まえて来るもの、こういった所では子供たちは自然と遊び方を見つけてくるもんだ。
トカゲや昆虫は実際手に取って観察する。
弱ってきたらその場でリリース。
草花も摘み取らず、手に触れたり匂いを嗅ぐだけ。
持ち帰らないというのがルールだ。

平坦な道になると一層セミの声が賑やかになる。
体の割に声のデカイのはイワサキゼミだ。
正月でも鳴いているというから、年中いるんだろう。
明らかに本土とは違う、亜熱帯のジャングルだ。
子供用の傘ぐらいに葉を広げたクワズイモや、背の高いヒカゲヘゴ。その幹にへばりつくオオタニワタリなど、歩きながら見るというのはいいもんだ。
植物園の観葉植物を見て廻るのとは訳が違う。
日向を好むもの、日陰で低く広く自生するもの、ありのままの姿を感じ取ることができるのだ。

陽の当たる斜面に、シダ類に囲まれたコウトウシランがその優雅な草姿を覗かせている。
シダの緑の中で、蘭の艶やかな紫が美しい。
「こういった観察会は人の眼が増えるのがいい。気づかずに通り過ぎる所でも誰かが色んなものを発見してくれる」
PVリーダーの理科の先生が嬉しそうに笑う。

コウトウシランの花の下には咲き終えた花茎が幾つもぶら下がっていて、その房を指先で揺すってやると、白くて細かなパウダー状の種子が胞子のように飛び散った。
「これが花になるまで何年もかかるんですよ」
愛でるように理科の先生が教えてくれた。

チームごとに時間をずらせて出発したはずだったのに、観察に夢中になって立ち止まったり見入ったりしてしまってるうちに、いつの間にか3チーム合同というか、気が付けば全員で歩きながら観察するようになっていた。
樹々の隙間から陽が差すと、まだまだ夏が続いているのだなぁと思ってしまう。

1時間かけて、ゆっくりと下るルートも結局30分押して仲間川展望台まで戻って来た。
ここからはまた班ごとに、車で大富集落の休憩所までピストン輸送する。
17時20分の離島連絡船に乗れないと、今日中に石垣島まで帰れない。時間はあるようで余りない。
石垣からの参加者から順にどんどん車に乗り込んでもらった。

大富展望台は高床の構造になっていて、360度見渡すことができる。
外付けのコンクリート階段と本体の円筒形の建物が微妙にズレて建ってるように見え、「大富のピサの斜塔」なんてことも言われている。
ここから大原港までは車で10分もあれば大丈夫だろう。
時間の許す限り、ここからの景色をただ眺めていたいと思った。
サシバの群れに出会えれば良いのだが。




急な訃報に、居ても立っても居られなかった僕は大阪へ飛んだ。
ヤツが? まさか?
辛い病気と半年間闘っていた。
ヤツのいる病院で「石垣島に移住する」と話した時も心配しながらも喜んでいてくれた。
僕が石垣に引越して、1ヶ月ほど経った頃「退院した」と聞いて安心していたのに。
こんな形で再会するとは思わなかった。したくなかった。
ヤツと僕とは同い年だった。
見送りに大勢集まったのも、ほぼ同世代の人が多かった。
若過ぎる死だ。あまりにも酷い。
そして僕は、このことで色んな事を考えさせられた日となった。

ヤツとよく飲んだ馴染みのバーに仲間たちが集まった。
僕たち同様、ヤツとは長い付き合いのマスターと共に、僕たちの「見送り方」をした。

「お酒と音楽が大好きな主人でした」
この事だけは、しっかり最後に伝えないといけない。
葬儀会館で振絞るように挨拶した奥さんだった。

僕たちは満たされたグラスを天に突き上げ、一気に酒精を流し込んだ。灼けたものが喉の奥底にへばりついたようだった。
仲間のひとりが詩を作り、朗読した。
バーカウンターでそれを聴きながら銘々がヤツを憶い、詩に込められた言葉をヤツに照らし合わせるように頷いた。
哭くのは今夜だけだと決めた。
満面の笑顔でギターを弾くヤツの写真の前には、バーボンのオンザロックが置かれていた。



仲間川上流の山に、黒い雲が覆いだしていた。
湿った重い空気が運ばれ、辺りの彩度は失われていくようだった。
今日はもうサシバの渡りは見れないかも知れないな。
だとしても、石垣に移り住んだ僕には、また来年再来年と見ることもできるだろう。
今日一日で、森の樹を観て草花や生き物たちのことを少しだけれど、知ることができた。自然が教えてくれることも五感を通して、ほんの少し感じ取れるようになれたのだと思う。
このようにして僕はこれからも島で生きてゆくのだろう。
まだまだ色んな人と出会いながら。

先に逝ってしまった友に、ようやく「サヨナラ」を告げることができた気がした。

黒い雨雲はこの展望台を避けるように逸れて、
向かっては来なかった。
海の方に長い虹が架かっていた。



(了)

  


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2010年10月14日

サシバを見にいく

西表島。曇り。

前日まで大阪にいて、
急逝した友との別離を偲んで来た。
心の整理など当分つかないだろう。

朝まで残った雨のせいだろうか、
西表島は時折り薄日が差すだけで急激に湿度が持ち上がった。
今日一日、保てばいいのだが。

午後12時を回ると徐々に参加者が大原港のターミナルに集まりだした。
「サシバの森の観察会」を楽しみにしていた子供たちとその保護者たちだ。
地元の西表と石垣からも家族連れがやって来て賑やかになってきた。
西表島PV(パークボランティア)と石垣島からもPVが参加した。
「サシバ」チーム。「カンムリワシ」チーム。「チョウゲンボウ」チーム。
3班に分かれて12名のPVが配置される。
一般の参加者は20名たらず。
それに対して、統括する環境省のレンジャーやアクティブレンジャーなど運営側のスタッフを合わせると、はるかにこちらの方が数は上回る。
しかし、これはこれで良いのだと思う。
地元紙などで一般公募した定員は、15名ほどだと聞いた。
今回の参加者は、1歳児から60歳の男性もいる。
小学生の児童が大半だが、ブラジル国籍の男性もいた。
参加費は無料だ。
自分たちの島の自然に親しみ、触れることや見ることで身近な自然を学んでもらう。
少人数のチーム単位で行動するには、サポートは多い方が良い。


大原港からチャーターした観光ボートに乗って、仲間川を遡行する。
港内を半周するように船首は山の方に向けられて川に入って行く。
黄土色に濁った川は数日来の雨量を知らせる。
西表の観光会社の船なので、ガイドも手慣れたものでしっかりしていた。
西表島西部の浦内川は沖縄県最長の河川で、このような観光船が運航しているが、東部の仲間川から船で入るのは今回が初めてだ。

いわゆる観光ルートだが悪くない。
船長自らがマングローブ林の植生を細やかにガイドしてくれたり、シラサギやムラサキサギを見つけるとすぐに知らせてくれる。
その度に子供たちの喚声が沸き起こり、お父さんのハンディーカメラは子供から鳥へと忙しくズーミングしている。
その微笑ましい光景を最後尾から眺めていると、こういうのも満更でもないなと思えてしまうのだった。
意味も無く会話を続ける御婦人方のグループや、怪しい年の差カップルなんかと乗り合いになるより、よっぽどいいのだ。

マングローブ林の中を蛇行しながら進んで行くと、随所に台風の爪痕が見てとれた。
先月の台風11号は、最大瞬間風速60mの圧倒的な強風が吹き荒れ、石垣島でも猛威をふるった。
仲間川上流から大木が流されヘシ折られたか、それとも強風でなぎ倒されたのか。
川岸に近いヒルギの仲間が、多く打揚げられるように横たわっていた。
「強い横波を受けるだけで、ヒルギは抜けるように倒れてしまうんです」
横に座ったPVのリーダーで、西表島の小中学校の理科の先生が教えてくれた。

2週間前、この日のための事前調査が行われていた。
カエル調査が一段落した僕は、秋を告げる「サシバの渡り」に、とても興味があった。
石垣島に移り住んでからは、こういった自然界の営みにますます興味が募る。
西表自然保護官事務所からの要請にも、ふたつ返事で参加すると応えた。
下見では観光船には乗らなかったが、林道を実際に歩きながら
観察コースの選定を行った。
樹木や草花のこと、けたたましく鳴くイワサキゼミや枝にぶら下がるヤエヤマオオコウモリを見つけては、この先生から楽しく話を聞かせてもらった。
長靴履きにタオル鉢巻がよく似合う先生だ。
「学校で教えるのも、殆ど外に連れ出しちゃう」
と笑っていた。


観光船は日本最大「サキシマスオウノキ」の船着き場に到着した。
整備された木道を歩いて行くと、やがて目の前に樹齢400年のサキシマスオウノキが現れた。
高さ20m。
仄暗い森の中で、そこだけが何か特別な空間のように思えてしまう。
その自然の神秘、生命力。
神々しさに息を飲む。



400年もの間、幾度となく台風に遭い、
幾度生命の移ろいをここから眺めたことだろう。
嵐で流され、その役目を終えるもの。
また種子から新しい根を張るもの。
ここに立っていると生命の木霊が聴こえてくるようだ。

自然は森を壊さない。
そう思えてならないのだ。


(前篇 了)  


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2010年10月04日

ヤギとカエルと月明かり

「シロアゴガエル」の生態分布調査は日没から始める。
夏の石垣の日没だから、ようやく8時ぐらいからのスタートだ。
彼らは夜行性なので、暗くならないと活発に鳴いてくれない。
コールバックという装置を使って「シロアゴガエル」の声を彼らに聞かせて、鳴き声があったかどうか?数は?方角は?
聞き耳をたてて、調査シートのチェックポイントをたった一人で埋めていく。

「夜、カエルの調査」と言えば、必ず「ハブは?」となる。
正直言うとビビってた。

夜露を浴びた草むらや農道の側溝あたり、カエルやトカゲのいそうな所は彼らもいる。
「ハブーっ!」と思って写真撮ったけど、これは「サキシママダラ」。
ゴハン食べたばっかのようで、傍まで寄って撮ることができた。
いい色艶と柄だ。
あとで聞いてわかったけど、ハブと違って温厚なヘビらしい。
ハブにはまだ遭遇してないが「こっちのは咬まれても死なないサァ」と調査仲間から聞いた。
「サキシマハブ」は、奄美群島などの「ハブ」より毒性も攻撃性も弱いと言うのだが。
それでも出来ればお会いしたくない生き物ベストワンだ。


「シロアゴガエル」は外来種のカエルで、在来種の生態に大きな影響を及ぼす、ということで
駆除目的に調査をしているわけだが、とりわけ強力なのがコイツ!

「オオヒキガエル」
獲っても、獲っても減らない生命力!
夜、県道や農道のド真ん中で、へしゃげた姿を曝してるのは彼らです。
オオヒキと言うぐらいだから、デカイ!
男性のコブシ大は当たり前。
それより一周り二周りもデカイのが、デカイ面して鳴いています。
今や、石垣では立派な「夜のお尋ね者」となっている。


よく、夜道で轢いてしまう。と言えば彼らを忘れてはいけない。
オオヒキといい、コイツらといい、バイクで踏んでしまうと「即、コースアウト!」
と、なり兼ねないので侮れません。
僕は「動くシケイン」と密かに渾名してますが。

「オカヤドカリ」
先ほど一部誤解を受けかねない表現があったかも知れませんが、
オカヤドカリはレッキとした「天然記念物」なのであります。故に、保護したい気持ちに偽りはございません。
彼らは陸性のヤドカリで、マイマイ(カタツムリ)を宿にしています。
生態は不明な所も多く、陸性とは言え、鰓呼吸もします。
或る季節になると一斉に海に向かって大移動するとかしないとか?
もしそうだったら、「ぜひ見てみたい!」とコーフンしてしまいます。
因に、ヤシガニは(まだ見たことないですが)彼らの仲間です。

オカヤドカリと来れば、ミナミオカガニです。


彼らも陸性ですが、集水枡で浸かることもあるんです。
溝の藻でも食べているのかも知れません。
ライダーにとっては、夜道に出会いたくない生き物のひとつです。
川に近い所を走っていると、大手を振って横断しています。



これは「リュウキュウアカテガニ」
やはり道路脇の側溝を横断中でした。
リュウキュウと付くぐらいだから、アカテガニの新称です。
ミナミオカガニと違って、彼らは海に近いところで生息していて、
この日、海辺の集落で出会いました。
産卵の時期、満月の夜になると、一斉に海に向かって大移動するそうです。
大阪に居ては気づかない季節の変化を、この島の生き物たちが教えてくれます。



夜も更けた「星野共同売店」と相棒の「JOG」。
好きな人には堪らない、「丸ポスト」が現役で働いています。
集落ごとにこのような共同売店があって、車に乗れないオジイやオバアにとって、なくてはならない憩いの場となっている。
星野地区は島の北部に差しかかる東海岸にあって「人魚伝説」が伝わる集落だ。
昔、大津波の前に、人魚が知らせに来てくれたことで集落は救われたという言伝え。
この海岸にジュゴンがいたのかも知れないなぁ。



真っ暗な農道を走っていて、何が驚いたか!
突如、ヘッドライトに浮かぶ白い物体。
目が光ってる!
「ヤギ」。
牛舎も傍だし、わかってしまえば何てことないけど。
夜中にヤギと出会った人にしか分からない恐怖と戦慄であります。


やはり「亀」は外せません。
「ヤエヤマイシガメ」
シロアゴガエルのコールバックを待ってる間、色んな生き物に出くわすので、
ついつい撮ってしまう。

期待を損なうようですが、シロアゴガエルの成体はまだ見てません。
その代わりと言っては何ですが、
「リュウキュウカジカガエル」


愛嬌のある顔つきで、キレイな鳴き声を聞かせてくれます。
踏ん張ってる手足が可愛い。木登りも上手そうな指先だ。
カジカは渓流の樹林帯、というイメージがあるけど、この日は牛舎の傍の側溝で見かけた。
山間で見ると、もっと「カエル色」なんだろうなぁ。


「シロアゴガエル」の調査は、人が暮らす集落の近辺もあるけど、大抵は農道脇や川の周辺が調査ポイント。
サトウキビ畑、パイナップル畑、沈砂池。
ヘッドランプを消した瞬間の夜の闇が想像できるだろうか。
コンパスで居場所を確認する。
星を見る。
月を探す。
太った月だと、自分の立っている影がくっきりと地面に浮かぶ。
月のエネルギーを感じる瞬間だ。

夜行性は、なにもシロアゴガエルに限ったことじゃない。
調査の道すがら、色んな生き物たちに出会う。
どちらかと言えば、色んな生き物たちがいる島に自分がいる。ということなんだろうけど。
夜な夜な、ヘッドランプを灯してカエルを探す。
少しづつだけど、島の生き物たちや植生のことなんかが分かりだしてくる。
この島だといつか「ムーンボー」も見れるんじゃないかと思えてくるのだ。  


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2010年09月28日

島の男たち~栄光の赤土~終章

明石(あかいし)集落。
テツの牛舎。

「午前中で良ければ、ウチで洗えばいいさァ」
俺は、牛舎の圧水ホースで吹き飛ばしていた。
赤土塗れになったスバルサンバーのあの忌々しい泥を。
夏の陽射し。
水飛沫が顔に、Tシャツに、跳ね返る。
見る見る剥げ落ちる泥。
爽快だ。気持ちいい!
ビショ濡れだって、構いやしない。
この天気だ。どうせすぐに乾く。


テツに今朝生まれたばかりだという、仔牛を見せてもらった。
傍にいる母親は、まだ胎盤を引き摺っていた。
3時間前に生まれたところだと、テツが嬉しそうに話してくれた。
3時間前?
テツはゆうべ殆ど寝ずに、出産に立ち会っていたことになる。
昨日の時点で、出産は分かってたはずだ。
何という男だ!

「ここにいる仔牛の全部は、俺が父親さァ」テツは愉快そうに笑った。
なるほど受精させて、子供を産ませる。
立派なお父さんだ。違いない。
せっかくだからと、
子供がなかなか出来ない雌牛に、裏ワザで妊娠させる! という種付け師の「仕事」を見せてもらった。
生まれたての仔牛を見るのも初めてだったが、「仕込み」を見るのも当然、人生初のことだった。


テツは午後から畜産の青年会の会議があると言うので、パリッとした格好に着替えてきた。
今期の会長に就いてしまったから仕方がないんだと、少しはにかんだ笑顔が男前だった。
「後は、親父がいるからさァ、ゆっくりしていけばいいさァ」とテツは父親を紹介した。
小柄な人だが、無駄な贅肉が一切無く「この腕で、牛もテツもこさえてきた」と笑いながら迎えてくれた。
テツの笑顔は父親譲りなんだ。

ここ石垣北部の明石(あかいし)地区は、沖縄本島からの移民の集落だと教わる。
石垣でも珍しいエーサー祭りは、明石のエーサーがその望郷と先祖供養を行う祭りであったことを思い出す。
ここは父親の代からの牛舎で、テツは「タダで貰おうと思ってる」と豪快に笑って出かけて行った。


電話があったのは、サンバーもようやく元の白さを取り戻した頃だった。
シロアゴガエルの調査会社からで、「パイナップル畑の現場に案内して欲しい」という内容だった。
保険のカラミなどもあるのだという。
俺は何であれ、朝イチにマタさんとは連絡を取り合っていて、地主さんがわかったら一緒に現場へ出かけるつもりでいたのだ。
何だか大袈裟なことにならねば良いが。

福岡から、部長なる男が文字通り飛んで来た。
沖縄本島勤務の若い男も一緒だ。
まず状況を説明して欲しいと言うので、ありのままを伝えた。
シロアゴガエル調査中に、道を間違えてパイナップル畑の農道でスタックさせてしまい、助けに来てもらった。
自分の車は出せたが、その結果、救助に来た四駆が畑に嵌ってし
まった。
もう1台、調査中の四駆を呼んで何とか脱出することができた。
その際に、パイナップル畑をかなり痛めつけてしまった、と説明した。
地主さんが分かり次第、出向くつもりだということも付け加えた。

そこまで聞くと、
メモをとっていた部長が「安心しました。福岡に入って来た情報では大惨事になってたもんですから」と穏やかな表情で顔を上げた。
実は、自分も現場やってた頃に、調査中田んぼに車ごと落ちたことがあってと、思い出話を楽しそうに喋り出した。
案外、いい人?
俺やマタさんにまでペナルティが科せられるなら、徹底的に闘うつもりでいたが。
現場叩き上げの部長で良かった。
部下にとってどうなのかは、詮索しないでおこう。


昼間見るパイナップル畑は、レンガ色のキャンバスに濃い緑で美しい曲線が立体的に描かれていた。
夕方とはいえ、太陽の直射はチリチリと強かった。
調査会社の部長とその部下は、俺の忠告通り、買って来た長靴に履き替えている。
俺はすぐに洗えるように島サンダルだ。
彼らはメジャーと測量棒を使って写真を撮り始めた。
俺はショートホープを1本抜き出して紫煙を吸い込んだ。
こうして見ると、随分やらかしたもんだ。
朝、畑に入った地主さんはさぞ驚いたろう。
胸の奥がきりりと痛んだ。

マタさんが農協の職員を連れて現場に現れた。
地主さんは分かったが、連絡がつかないという。
部長とその部下は、農協職員に被害額について相場などを聞き出していた。
俺とマタさんは少し離れたところへ移動した。
ここから先の話には入らない方がいいだろう。
お互い、そう感じたからだ。
千切れたパイナップルの新株を拾い上げ歩いた。
「四駆を過信しすぎたかなぁ」
マタさんは改めて悔やんだ。
「いや、そもそもの原因は俺だから!それに、マタさんやテツには本当に感謝しているんだ!」
俺は慰めるつもりで言ったわけじゃない。本心からだった。
二人は自然と最初にスタックした場所に来ていた。
ここでこうなった、次にこうした。
ああすれば、こうすれば、と話すうちマタさんは「なんでわざわざ新株の方をやっちゃったかねぇ〜」と笑い出した。
農道を挟んだ反対側は収穫も済んでいて、あとは土を返すだけだったのだ。
俺もつられて笑っていた。


農道の奥の方から、年代物のトヨタのトラックがやって来るのに気づいた。ゴトゴト、ゴトゴトと老人の歩みのように見えた。

いっそう強くなった西日を浴びて、オジイとオバアが降りてきた。
きっと他の畑にも回って来たのだろう、二人は野良着のままだった。
「今朝、畑に来てみたら、びっくりしたわよ!昨日の夕方までここで作業してたんだから」という意味のことをウチナーグチでオバアは喋りだした。
農協職員に紹介された部長らは、身繕いをして名刺を出そうとしている。
オジイは徐に「うるま」を1本咥えると美味そうに紫煙を吸い込んだ。
農協から知らされていたのだろう、事態は飲み込めたという表情に見えた。
「でもさ、うれしいさぁ」オジイは紫煙を吐き出しながら、畑のそばまで歩いてきた。
俺とマタさんは頭を下げた。
「ちゃんとこうやって正直に来てくれたことが、うれしいさぁ」
そして、畑を痛めてしまったことは今さらしょうがないことだと慰めるように言った。

「正直にやってれば、きっと兄さん方にもいいこと来るさぁ」そう言って、俺とマタさんの顔を覗いて笑った。
打ちのめされた。完全に。
オジイの言葉に、男の顔に。

マタさんが自分の集落と名字を名乗ると、
誰それの息子かと問われ、
それは親父の兄の方でと、話はどんどん繋がっていった。
俺はそばで聞いているだけで言葉のほとんどは分からないが、
ただ、オジイが島の若者とだんだん打ち解けていく様子に、なんだか嬉しくなってきていた。
マタさんが、自分は畜産をやってるが、小さい畑でパイナップルもやっているとオジイに話すと、肥料の割合や土の作り方などは品種によって変えろ、とオジイはうれしそうに喋りだした。
そして、目の前に広がるパイナップル畑を指して
「これは俺の作品で、俺はアーティストだと思ってる」
と驚くほど静かに言い切った。
重い言葉だ。

「君もパイナップルやってるなら分かるだろう」
畑の端から端まで、畝を整え葉ぶりを揃える。
手前の1列も真ん中も同じ。角の1株まで綺麗に実を付けさせる。
来年の収穫をイメージしながら畑をやるのは、芸術と同じだ、と。
畑は自然が与えてくれる芸術作品。
自然に対して正直に生きよ。
そうオジイは言いたかったのかも知れないと思った。

その頬には亜熱帯の土の照り返しを受けてできた、深い皺が彫り込まれていた。
赤銅色に灼けた横顔が誇らく見えた。
ハルサー(畑人)のオジイはポケットから「うるま」を取り出すと無造作に火を着けた。
咥えたまま暫く紫煙を吸い込むと、顎のあたりを少し撫でた。
灰色がかった瞳は、遠くパイナップル畑を見つめている。
芸術家の強い魂(マブヤー)が、その瞳の中で煌めいているのを俺は傍で感じていた。
夏の夕陽はまだまだ染まらない。
だが、強い西日だけが赤土の一帯を赤く赤く照りだしていた。



完  


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2010年09月20日

島の男たち~栄光の赤土~後編


電話の着信音を流行りの音楽にしているような若者じゃない。
黒電話の音が鳴り響いて、我を取り戻した。

このエリアからは少し離れてはいるが、調査員のリーダーが駆けつけてくれると電話の声。
「もう大丈夫だから」と暗に言ってくれた気がした。
しばらくすると、リーダーから電話がかかって来た。
既にこちらの状況は掴んでいる。
ただ、今いる場所をなかなか上手く相手に説明できない。
もどかしい。
周りに目印となる物もないし、ましてや、初めて来てしまった場所だ。
県道から農道へ入ったルート、とにかく底原ダムの下方であるらしいこと、それ以外は一面パイナップル畑だと言う他なかった。
こちらの焦りを察してか、リーダーは島訛りでゆったりと話し出した。
農道でスタックすることは、頻繁ではないが、たまにあることだと。
「ワイヤーロープを用意しましょうねぇ」
一度自宅に戻って、この現場に向かうと言うのだ。
だから1時間ほど待って欲しいと。
さっきまで、この近辺のエリアに居た筈だ。
それをわざわざ往復1時間かけて・・・
申し訳ない気持ちでいっぱいだった。
そして、それ以上に彼の言葉に、素直に感動してしまった。

車に戻り、ルームライトを点けた。今日のことを記録しておこうと思ったのだ。
オレンジ色の表紙の付いたメモパッドを取り出す。
Gパンの尻ポケットに収まるサイズ。用紙に縦横のマス目が敷いてあって、使い勝手がいい。
紫煙を深く吸い込み、今日起こった出来事を思いつくままメモに書き込んでいった。
この1時間は長くは感じないだろう。
テルモスのカップになみなみとお茶を入れた。
冷えたサンピン茶が旨かった。
もうすっかり落ち着いていた。


一瞬、ルームミラーの中が明るくなったような気がした。
来た?
ヘッドランプを着けて、赤土の泥濘に降り立った。
海中で使うハンドライトも持って出た。
点灯させるとライトの光芒が真っ直ぐ遠くまで伸びている。
気圧が変わったか?

見間違えじゃなかった。
丘陵のエッジに、光の塊がうねって動き、確実に迫って来ている!
まだ1時間も経ってないはずだ。
俺の言葉足らずの説明で、1発で来れるものなのか?
このだだっ広いパイナップル畑に!
ハンドライトを大きく振り回しながら、よたつく足で光の方へ走り出していた。
助かった!きっと声に出していたと思う。
光の塊は、みるみる照度を増し、ヘッドライトの2本のビームとともに丘を乗り越え、眩むような逆光となって姿を現した。

マツダのピックアップトラック。
車高を持ち上げ、排気系を軽くチューンナップしているのだろう。
ちょっと厳ついエクゾーストノートが頼もしい。
スバルサンバーの後ろにガタイのでかい四駆を停めると、青年が笑顔で近づいて来た。
作業ズボンに白い長靴。
調査リーダーのマタさんは畜産をやっている。
牛を育てている島の若者だ。
もちろん、シロアゴガエル調査のエキスパートでもある。

「よくわかりましたね、ここが!?」
マタさんは何でもないというような仕草で応えた。
県道からのルートがわかったので、あとはきっとここだろう。と人の良さそうな顔が笑った。
そして、ワイヤーロープを手にするとサンバーの足回りを探り出していた。
人と話をしながらでも、手を動かせるヤツ。仕事ができるタイプの男だ。
俺は慌ててマタさんからワイヤーロープを奪うように取り上げ、左のリアサスペンション辺りに腕を潜り込ませた。
ヌルヌルする赤土の泥と格闘しながらも、なんとかワイヤーロープを取り付けた。
ピックアップトラックからはすでに、もう1本のワイヤーロープが伸びて来ていた。
仕事が速い。
こういうことに手慣れているのだろうか、島の男として。
2台の車からそれぞれワイヤーが出された。
しかし、取り付けてから「しまった!」と思った。
ワイヤーの先端が、両方とも輪っか状になっているのだ。
これを一体どうやって連結させるんだ?
「これを使うんです」とスパナを軽く手のひらに叩いた。
スパナで?
ワイヤーロープの片方の口に、もう片方の輪っかの頭半分ほど通す。
図形でいう集合の部分に、このスパナで閂にするのだ。
「この形!」
石垣の豊年祭のハイライト、「大綱引き」だ。
雌綱と雄綱を結合させる、あの要領なのだ。

サンバーに乗り込んでエンジンを吹かす。
「さぁ、脱出だ!」歓びに似た高揚感があった。
四駆のピックアップトラックが静かにバックして、ワイヤーがピンと張られた。
サンバーの車体に軽いショックを感じた。
次の瞬間、ピックアップトラックのエンジンが吼えた。
サンバーのシフトをリバースに入れ、合わせるようにアクセルを踏み込んだ。
四駆に牽引されてるとはいえ、リアタイヤが思った以上に土に潜ってしまっていた。
牛蒡を抜くようにはいかなかった。

サンバーのリアが空転をが始め、あたりに赤土を撒き散らかせた。
窓から乗り出した姿勢では当然避けようもなかったし、そんなことに構っている時じゃない!
顔中に赤土の飛沫が厭というほど、へばり着いた。
サンバーの後方でピックアップトラックも震える。
サイドブレーキを手で合わせながら、アクセルペダルのオンオフを繰り返した。そして、農道の真ん中に戻そうとステアリングを切ったその時!
リアタイヤが大きく振られて、車体がそのまま農道の左端まで持って行かれた。
まずい!
サンバーは左後輪まで赤土に呑み込まれてしまっていた。
一部始終を見ていたマタさんが、ホーンを鳴らしてトラックのエンジンを切った。
パイナップル畑に静寂が戻った。
しまった!俺のミスだ!
もっと簡単に脱出できるものとタカを括っていた。
サンバーのすぐ左脇に、この夏収穫を終えたばかりのパイナップルの株が迫っていた。

マタさんは次の手を打っていた。
トラックのワイヤーロープを右フロント側に着け直している。
落ち込んでる場合じゃない!
運転席から飛び出して、もう一度、ワイヤーロープに閂を入れ直した。
ピックアップトラックを農道の幅ギリギリの所で斜めに置き、サンバーを横に引き摺り出すイメージ。
四駆の足場もさっきより悪くなってるはずだ。
再び野太いエクゾーストノートが響き渡る。
今度は慎重にサイド合わせを行いながら、無理なステアリング操作はしなかった。
じりっ、じりっと泥から這い出すようにリアタイヤが動きだした。
そうだ!ゆっくり、ゆっくりとだ!
今は一人だけで、もがいてるんじゃない。
マタさんが引っ張ってくれてるんだ!

左後輪が土の路面を捉えた。
後ろの方、ピックアップトラックが何かを踏みつぶす音。
メキメキ、バキバキ、と。
サンバーはあと少しで左前輪も抜け出せる。
トラックのエンジンがさらに唸る。ドリフトしながら空転するタイヤ。踏みつぶされる新株の厭な音が耳につく。
ステアリングに負荷がかかった。
瞬間、アクセルを踏み込んでハンドルを切った。
サンバーは足場のしっかりした農道の真ん中に車体を滑り込ませていた。

ドアを開け、マタさんの車に駆け寄った。
「いやぁ、もっとすんなり出せると思ったんだけどねぇ」
運転席の中で少し照れたような笑みを見せ、マタさんは頭を掻いてみせた。
かくて短き格闘は終わった。


サンバーはこの彼のおかげで、無事救出されたのだ。
しかし、その代償は小さいものではなかった。
農道を踏み越えたピックアップトラックは、来年収穫するパイナップル畑を車体半分ほどの範囲、喰いちぎって停まっていた。
マタさんはトラックの周りを歩いて「これは黙って逃げらんないねぇ」と戯けた口調で言った。
彼も畜産をやりながら、少しだけど畑でパイナップルを作っていると話していた。
きれいに整った畝と新株の葉ぶりを見て、きっと辛かった筈だ。
「明日、農協で地主さん聞いてみましょうねぇ」
俺のような「島ナイチャー」では到底話がつかない。
ここはマタさんに任せるしかない。
全く、何から何までだ。

俺はサンバーからワイヤーロープを取り外して、撤収モードに入った。
「スパナってこういう使い方もあるんだ」と妙に感心していた。
その時だ、ピックアップトラックの挙動がおかしいのに気づいた!
エンジンは高鳴るが横滑りが止まらない。
マタさんは一度前進させ切り返した。
再びバックギアに放り込んで、一気に加速する。
新たな新株たちの悲鳴。
構わず、力ずくで乗り越えられそうだった。
しかし、四駆の右側前後輪とも完全に畑の中に捕られてしまっている。
柔らかい畑の土。畝を跨いだところでトラックは停められた。
「四駆をちょっと過信したかねぇ」畑の中からマタさんが出てきた。
「俺が荷台に乗って、左に加重をかけてみよう!」と提案した。
セメント袋に入った牛の肥料を全部荷台の左隅へ寄せ、再びエンジンをかけた。
荷台の縁で、屈伸するように何度も何度も体重をかけた。
前進をしてはバックする。
赤土を巻き上げようが、構わない。何度も何度も繰り返した。
しかし、ピックアップトラックの咆哮が途絶えた。
辺りにオイルの焼けた匂いが漂う。
深夜のパイナップル畑はまた静寂を取り戻した。

これ以上やっても畑にダメージを与えるだけだ。
そう判断したマタさんが切り出した。
「テツを呼びましょう」
明石(あかいし)でシロアゴの調査やってるはずだからと。
明石?
石垣島のかなり北部の集落だ。そこから来る、いや、来てくれるというのか?

マタさんはケイタイで場所と状況を話してるようだ。
バリバリのウチナーグチ(沖縄方言)では、さっぱりわからない。
底原ダムの下、Y字を右に。それだけでテツもわかったようだ。
電話を切ると、マタさんはこれからの作戦をたてるように話しだした。
テツには長めのワイヤーロープを頼んだこと。
テツの車はここから後方の足場のいい所からバックで牽引してもらう。
彼の車はミツビシのパジェロだという。
それから、もしもの場合、ピックアップトラックを畑から出せなかった時。
サンバーはもう大丈夫なはず。自分はトラックを置いて、テツの車に乗せてもらって帰れるからと。
「これで、誰もここで野宿することはなくなったさぁ」
マタさんは笑いながら言った。
いつの間にかガスも晴れて、また大きな星座が現れた。


テツは明石の牛舎で種付け師(人工授精師)をやってることや、
石垣牛の畜産の話なんかをマタさんから色々聞けた。
俺は石垣島に移住して、まだ間がないことや大阪の話なんかをした。
こんな時に不謹慎かも知れないが、なんだか俺は楽しい気分になっていた。こうやって島の男と話せてることに。
救助を待つ二人の男に悲壮感はない。
俺が道を間違ったために車をスタックさせ、マタさんがワイヤーロープを持って助けに来てくれた。そして、サンバーを何とか農道の上まで引揚げてくれた。
しかし、コントロールを失ったマタさんのトラックは、パイナップルの新株を痛めつけながら、とうとう畑に脚を奪われたのだ。
無駄な足掻きをせず、マタさんはテツを呼んだ。
そして今、我々二人の救出に向かって、テツが明石から駆けつけようとしている。


純正装備だろうか、黄色いフォグランプが煌煌と焚かれたパジェロが現れた。
1時間も経たないうちにテツはやって来た。
短髪で目鼻立ちがハッキリした顔。もちろん色黒だ。
Tシャツに膝丈のサーフパンツ姿は、ヒップホップでもやっていそうな若者だ。
そして、愛嬌のある笑顔で「何してるかねぇ~」とからかうように近づいて来た。
人懐っこくて面倒見も良い、きっと彼がいるだけで、現場が和んだり盛り上がったりするのだろう。
そういったタイプの男だと思った。
彼もまた石垣を支える島の青年畜産家だ。

彼らには、事前に打ち合わせが出来ていたのだろう。
パジェロを所定の位置につけ、長めのワイヤーロープを牽引フックに取り付けた。手際がいい。
島で車を買う時は、絶対四駆だ!俺は眺めながら思っていた。
最悪、トラックを捨て置くことも考えて、肥料の詰まったセメン袋を一人づつ肩に乗せて、パジェロに運びこんだ。
足下はめり込み、覚束ない。その上、長靴はみるみる赤土で天ぷらの衣のようになっていく。
汗が噴き出す。大量に。
こんな重労働は何年ぶりだ?
だけど、苦痛じゃなかった。
流れ出る汗をタオルで拭うと気持ち良かった。
もう一度言おう。今、俺は彼らとともにいることを楽しんでいる。

ピックアップトラックの救出計画はこうだ。
パジェロは今の足場の固い農道から、真っすぐバックで引っ張る。
ワイヤーロープは繋ぎ足して距離を充分に保つ。
牽引中にトラックが暴れるかも知れないので、サンバーをパジェロの位置まで戻し、横に交差する別の農道へ避難させる。ここだと足場が堅い。
あとは、みんなで祈ろう!だ。

真夜中のパイナップル畑に、二台の四駆が咆哮をあげた!
パジェロのシフトノブがリバースに押し込まれた。
ワイヤーが地面から浮き上がり、宙で一直線に張られた。
と同時に、二台のエンジン音が闇を劈いた。
身を攀じるトラックをマタさんが冷静に捩じ込んだ。
大きなステアリング操作は、却ってコントロールを失うことを知っている。
パジェロも四つ足で踏ん張るように牽いた。
バキバキ、メキメキッ。
新たな新株を踏みつけながら、すこしづつ農道側に近寄って来た。
いったい何個喰ったことになるんだろう。
パイナップルには申し訳ないが、許してくれ!

ピックアップトラックに加速がついた。
四輪で土を咬みだしたのだ。
アクセルがさらに踏みこまれた。
右後輪が農道にかかった。
それまでの愚図った動きじゃない。
マタさんがアクセルを踏み込んだ。
飛び出すようにトラックは農道に躍り出た。
成功だ!脱出成功だ!
パジェロのテツにも、感触でわかったはずだ!
ヤツならどんな声を上げていたことだろう。

俺は、赤土に塗れたマツダのピックアップトラックに駆け寄って行った。
暴れた体躯を鎮めるように、今はラジエーターファンが大きく唸っている。
テツさんは運転席から降りると、真っ先に荒らした畑を見に行った。
「あがー、ケッコウやっちゃたねぇ。ここまでやるつもり無かったんだけどねぇ」
「100個ぐらい喰ったん違う?」
いつの間にか、テツがワイヤーロープを巻き取りながらやって来た。
「実が成ってれば、みんなで食べれたさぁ」
これには俺もマタさんも笑うしかなかった。

済んでしまったものは、済んでしまったものとして。
そう彼らは言っているように思えた。
太く逞しい考え方。
それは常に台風に曝される、この島の気質なのか。
今それはわからない。
この島へ来て、自分よりはるかに若い彼らのことを、
今日から「仲間」と呼びたい。
そう思わずにはいられなかった。

「さて、この重い肥料、元に戻すかねぇ」
テツがパジェロの中で、セメン袋を笑いながら叩いた。
三人はまた、バケツリレーのようにセメン袋を担ぎだした。
顔に飛び散った赤土も、この汗できれいに流し落とせることだろう。
丘陵を渡る風が心地良かった。
底原ダムの方から、カエルの合唱が聴こえて来た。
「あの中にシロアゴガエルがいるんだろうなぁ」
時計は1時を回っていた。



(完)  


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2010年09月13日

~栄光の赤土~ 中編


背中に厭な汗をかいていた。
もし、あのまま緑の底のトンネルを脱出できなかったら…

サンバーを降りて、少し外の空気を吸おう。
どのみちカーエアコンなど効いていなかったのだ。
外に出て、風にあたってる方がよっぽどいい。
それにしてもどうだ!
この星空は!
ここからだと街の明かりも県道を照らす数かな外灯さえも、
一切感じられない。
そればかりか、ダムの人工的な照明も見渡す限り見当たらない。
サンバーのイグニッションを切った。
静かだ。
丘を渡る風の囁き。
カエルの鳴き声。
熱低は逸れたか。
雨水をたっぷり吸った赤土が、歩くたびに長靴の底で膨らんでいくのも可笑しかった。

星は詳しい方じゃない。
さぞ大きな星座が今、眼の前にあるのだろう。
星の輝きの大きさで一等星や二等星などがあるのは小学校で習った。
理科の授業。
何年生だか、きっと夏休み前の頃だろう。
今思えば素敵なことを教わっていたのだと思う。
そして今の俺には、それが4段階にも見分けることができた。
今度少しは天体のことも勉強してみるか。
こんなことを思うのも、この島に来てからのことだ。

首に巻いたタオルを外すと、襟元からすっと汗が気化していくのがわかる。ひと時の爽快感。
背中の辺りは気持ちの悪い汗でいっぱいだったのに。
危機を脱した達成感?
いや、そんなことじゃない!
この風景に圧倒されてる!
夜空にくっきりと記された山のシルエット。
幾何学的に描かれた畑の畝とパイナップルの新株。
モノトーンの配色だが、美しい曲線のストライプでデザインされた丘陵地帯。
今、裸眼に映し出された神秘的な照度の世界に、
只々動けなくなっている。


進もう。
シロアゴガエルのチェックポイントを地図で確認する。
難関は切り抜けたと。
Y字路も通過した。
そして、眼の前に広がるパイナップル畑。

違う!
これじゃ、風向記号の真っ只中にいる!
どこだ?
戦慄が走る。
あのY字か?
地図で描かれた道なりの道。
ドライバー目線とトンネルを脱した瞬間のステアリングの向き。
ああ、あの時、動物的に反射してしまったのだ。逆の道を!

大丈夫だ。
引き返すとしても、もうあの闇の中へは戻らずに済む。
Y字を左にとればいいんだ。
この農道のどん詰まり、パイナップル畑の角に広いスペースができている。
そこで車の向きを変えればいい。
長靴から伝わるアクセルペダルの感覚が重く鈍くなっていた。
しかし、視界は広い。
雑草など無い綺麗な農道。
パイナップル畑の真ん中を走ってるイメージ。

赤土。
路面に照らし出されたヌラヌラとした艶。
さっきまでとは道の質感がまるで変わった。
ここ数日の雨で大量の赤土が流れ出し、農道を飲み込んだのだ。

ここでスタックするわけにはいかない!
流れた?
ステアリングが軽過ぎる。
アクセルを離した。
余計に車はスライドする。
不味い!
何とか立て直して、車を停めた。
農道と畝の境目。
本来あるべき段差が、堆積した赤土によって真っ平らになってしまっている。
まるでコンクリートを流し込んだように。
サンバーの左前輪が、このトラップに掛かってしまったのだ。

ギヤをリバースに切り替えた。
ハンドブレーキを噛ませながら静かにアクセルを開いていく。
手応えが無い!
柔らか過ぎる!
サンバーの車体が少し低くなったような気がした。
確かめよう。
ドアを開け、降りた。
すぐさま違和感。
足が抜けない?
もがきながらもサンバーの足廻りを調べた。
天を仰ぐしかなかった。
左前輪は完全に堆積した赤土の餌食となっていた。
後輪はまだ農道の上にある。
待てよ!
スバルサンバーは後輪駆動だ。
オートマチックの軽自動車!
トルクのあるリバースギヤに入れたまま、前から押せば!

人間の行動は時に可笑しなことをしでかす。
一度押しただけで阿呆らしくなってやめた。
どうなるもんじゃない!
もうこれ以上、抗っても無駄だ。
座礁したサンバーの助手席から、デイパックを引っ張り出した。
iPhoneのアンテナは辛うじて1本。
コンパスを起動させて、現在の向きを知る。
何てことだ!
あのトンネルを出た時に知るべきだった!
GPSを起動させる。
検索中…圏外?
待てよ、待ってくれよ!

めり込んだ長靴を交互に抜きながら、路面の確かな所まで戻った。
振り返ると白いサンバーがヘッドランプの先で途絶えていた。
何とかする。何とかするぞ、サンバー!
少しだけ高台に出たせいか、iPhoneの圏外が消えていた。
気紛れかも知れない。
直ぐに、電話に切り替えて緊急連絡網に発信した。
2コール、3コール、4コール目を待った。
カシオGショックを目の前に翳した。
時計はまだ10時を越えたばかりだ。
「もしもし、おつかれさま~」
能天気な声が返ってきた。
そりゃそうだろう。
こんな夜更けに、人っ子一人いない所に、しかも、いい大人がだ。
農道の真ん中で、立ち往生してるとは誰も思いもすまい。

状況を手際良く話した。
もちろん、ダメージは無かったことも。
ここからの対応は素早かった。
四駆の調査員を探すので折返し連絡を待つように、と。
シロアゴガエル調査員の担当エリアは予め決まっている。
iPhoneのアンテナが安定する所を探りながら歩く。
長靴は軽くなっていた。
石灰石を砕いたものだろうか、砂利がしっかりした所で腰を下ろした。
デイパックからテルモスを取り出して、冷えたサンピン茶を喉に流し込んだ。
出掛ける前に、たっぷりと氷をブチ込んで来た。
これで落ち着いた。
連絡を待とう。
今は待つしかない。
もう一杯分だけ、テルモスの蓋にサンピン茶を満たした。
少しづつ口に含むようにして飲んだ。
もしかしたら、今晩ここでビバークしなければならないのだ。
半分、腹は決まった。
サトウキビ畑だとハブも怖いが、ここはパイナップルの株と赤土しかない所だ。
ヤツも襲っては来ないだろう。
そう思うと気分も楽になった。
今晩ここで何して過ごそう、そう考えてる自分が不思議に可笑しかった。
ポケットを探る。
紫煙を味う。
吸い慣れた味。
ショートホープのこのキック力が嬉しい。


手に持ったカップを眺めた。
このテルモスは、一緒によく山登りに行った友人から貰い受けた物ではなかったか。
彼とは冬の六甲でキャンプ中、あの震災に遭った。
1995年、1月17日。
忘れられない。
二人で壊滅状態の三宮まで下山して、そこから彼は東へ向かう。
西宮にある彼の自宅まで、崩れ落ちた高速道路の惨状を間近に見ながら歩き通した。
俺は西へ向かった。
火に包まれて弾き出された長田の人々の傍を、その場から逃げるようにしてひたすら西区の自宅まで歩き切ったのだ。

何故こんなことを思い出す?
わからない。
畑の向こうからサキシマヌマガエルの合唱が始まった。  


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2010年09月08日

島の男たち~栄光の赤土~前編


その細い農道は、たっぷりと水気を含んだ夏草が覆い被さるようにして茂っていた。
「シロアゴガエル」生態分布調査。
地図に記されたチェックポイントは、
舗装された道ばかりとは限らない。
目指すは底原ダムの南側。

県道から逸れて農道に車を乗り入れる。
農道からはまた別の農道に枝分かれしてゆく。
この枝道が曲者だ。
轍のあちこちで雨水が溜まっていて避けようがない。
道は辛うじて残された轍痕が頼りだ。
轍の真ん中には50cmほどに伸びた雑草が、びっしりとセンターラインのように続く。

枝道に差しかかる度、車を停め、地図を見直す。
轍の間の雑草を、きれいに刈り取る要領でハンドルを切って進んで行く。
アクセルペダルのすぐそばで、なぎ倒されては跳ね返ってくる草の音が、振動となって伝わってくる。
轍を踏み外してはならない!
漆黒の闇。
目に見える物は、なぎ倒されてゆく雑草とその先にある亜熱帯の樹林だけだ。
二駆のスバルサンバーを注意深く走らせる。
ボディの底から泥水と雑草を跳ね上げる音が響いてくる。
カーステレオのウルフルズは聴こえない。

地図通りに来ているはずだ。
名もないような、小さな川に沿って進んでるはずだ。
この先、右へ緩くカーブした出口にチェックポイントは、有る。
少し登り勾配になり、ヘッドライトから雑草が消えた。
堤の上だ。足場は舗装されていた。
左手に川の瀞のような淵が現れた。
ここがチェックポイントだろうか?
地図ではこの川の対岸にも細い農道があり、橋が架かってるはずだが?
サンバーを降り、つば付き帽にヘッドランプを取り付け、
辺りの様子を確かめに歩きだした。
エンジンとヘッドライトは切ってきた。
ここがチェックポイントかも知れないのだ。
「シロアゴガエル」に余計な刺激は与えたくない。

ヘッドランプの周りで羽虫が狂ったように飛び散る。
ゴーグルがあった方が良かったかも知れない。一人ごちた。
ヘッドランプの角度を上に持ち上げ、対岸を照らし出す。
頭をゆっくりと上流の方へ、パーンさせてゆく。
この先に橋など見当たらない。
ポケットからzippoを取り出すとショートホープに火をつけた。
「ティン」と少しくぐもった音が、手の中だけで響いた。
コイツとも随分いろんな所へ旅をした。
オイルの焼けた匂いをさせたまま、zippoをポケットにしまい込んだ。
吐き出した紫煙の先、川岸へ下りてみる。

舗装されてる?
ヘッドランプを足元から川面に移す。そしてそのまま対岸まで振り込んだ。
ほんの4~5mほどの川幅だ。
橋というものは、橋脚があり欄干があるものだと思い込んでいた。
ここは、流れ橋なのだ。
川の水かさが急激に増したために、橋が飲み込まれていたのだ。
間違いない。
瀞だと思っていたここが、チェックポイントで合っていたのだ。
コールバックのセッティングを始めようと車に戻る。
「グギッ・・ゲッ・・グゲッ」
いた。「シロアゴ」だ。
堤のすぐ下の畑からだ。一匹。いや、もっといる。
堤の先。樹木側からも。
川辺からは鳴き声は聞こえない。
増水の影響でもあるのだろうか。
調査票に聞こえた方角を矢印で書き示し、
このポイントの終了時間を書き入れた。
21時47分。
悪くない。
途中、道を見失いかけたが、予定通りの順路で来ている。

バインダーに挟んだ調査票の上に、地図を広げる。
ヘッドランプをスポット光に切り替えた。
次のポイントまでは、毛細状の農道が待ち受けている。
この夏草の背丈だ。農道の入り口を隠しているかも知れない。
枝道はまた悪路になっているのだろう。
だが、とにかく、12時の方向へ進めばいい。
これが片付いたら、ダムに沿って西へ走り、
県道へ出れば、あとは帰るだけだ。


右左と緩いカーブを切り返す。
この先はY字に分かれ、地図では道なりに左側へ行けばよかった。
風向記号のように横にはびこる枝道には見向きもしない。
地図の図柄は頭に入ってる。
道が狭まって来た。
いや、両脇の夏草が猛威を振るって農道を飲み込んで来ているのだ。
サイドウインドーにも音を立てて葉先を撃ちつけてくる。
天井からも引き摺るような音。
ワイパーが、ドアミラーが、細く長い葉を喰いちぎった。
フロントガラスに容赦なく水滴が叩きつけられた。
まるで夏草のトンネルに突入したかのようだ。
この道で合ってる?
だが今は余計なことは考えたくない。
ルームミラーに見える後方は、もはや夏草の闇。
前方は遮られているが、地面だけは、わかる。
バックするわけにはいかない。
長くはない筈だ。地図を思い起こせ。

一瞬、開けたところへ出た。
急な上り坂だった。
これを登り切れば分岐点だ。
あと少しだ。
アクセルを踏み込んで登って行く。
その時だった。
ステアリングの向きと車体の挙動がおかしい。
ホイルスピン?
登り切れない?
ここまで来て?
この道をバックでまた引き返すことの方が至難だ。

一旦、スバルサンバーを登り傾斜の立ち上がりまで戻す。
オートマチックの後輪駆動の二駆だ。
道は朽ち落ちた亜熱帯の草葉がびっしりとへばり付いていた。
ロウレンジに入れ、アクセルを踏み込んだ。
登りきるんだ!
助走をつけ、一気に。
唸りをあげてサンバーが駆けて行く。
スピンを起こした所は踏み越えた。
いいぞ。
サンバー、そのまま乗り切れ!
次の瞬間、すっと抵抗がなくなった。
エンジンの抜けるようなカン高い音。
タイヤはその場で空転し、嫌な音をたてた。
しまった。
すぐにアクセルペダルを離し、フットブレーキを踏んだ。
慌てるな。もう一息だ。
雪山を思い出す。
ガチガチにステアリングを握らない。
エンジンの回転数に気をつけろ。
オートマチックだが、そんなことはどうだっていい。
サイドブレーキを目一杯引き上げた。
道幅いっぱい使って斜めに登るんだ。
ハンドブレーキのレバー操作でアクセルのオンオフに合わせる。
ぐいぐいと。ぐいぐいと。
駆動輪がロックするギリギリのところで路面を掴まえろ。
サンバーが横に振られた。
慌てずステアリングを逆に切って、カウンターを当てる。
濡れ草を蹴散らせて路面をグリップした。
いいぞ、サンバー!
アクセルを踏み込んだ。

一気にトンネルを飛び出すと嘘のように視界が開けた。
月の姿は見えないが、山の稜線のシルエットがくっきり見える。
目の高さから宙にかけて、星が幾つか見てとれた。

辺り一帯がパイナップル畑だった。
緩やかな丘陵地帯。
均等に並んだパイナップルの新株が、星の雫を静かに浴びていた。



後編へ



次回、いよいよ感動の(?)完結篇!
長く引っ張っちゃったなぁ。
今回も写真は無しです。
この調査で出会った生き物たちのショットは、
また別の機会に!
こちらも乞うご期待。  


Posted by ほんかー at 15:06Comments(6)

2010年09月05日

島の男たち

台風の影響で雲の様子が怪しかった。
直撃の心配はなさそうだが、この日の「シロアゴガエル」調査も車にした。

於茂登集落に近づいてくると小雨まじりの霧。
いや、風はある。
雲が於茂登岳の裾野低くに垂れ込めて来ているのだろうか。
車のヘッドライトをロー・ハイと切り替える。
ミストの中ではっきりとした光芒がラインとなって現れ、
迫って来るコーナーを映し出した。
ワイパーブレードが音をたてながらミストを拭い去る。
雲の中にいるようだ。
低い山だが、確実に水気を含んだ雲を風が運び出し、
こんな夜でも亜熱帯の木や草花、そして生き物たちを育んでいるのだ。

南の島。
太陽の強い光を浴びた山の緑も美しいが、
ミスティな夜の、山の表情もまた素敵だと思う。

東側エリア。
調査地図でいうと、中央右上にあたる。
於茂登集落を抜けて、東西に走る県道をたっぷり東へ進み、
そこから北へ上がることにする。
10箇所ほどのチェックポイントを反時計回りに潰して行こう。
今日、廻れるのは底原ダムの下までだな。

気圧が変わったのか、霧のような雲は山側を昇り始め、
視界が利くようになった。
この分だと雨の心配もなさそうだ。
この辺りの農道も地図に載せられている通りだ。
さほど手こずらずに済むだろう。
それにしても、夏草の生い茂り方はどうだ。
かるく背丈を超すものも多い。
水場。
特に集水枡や川の周辺で、次々と「シロアゴガエル」の鳴き声を確認する。
ヒメアマガエルやサキシマヌマガエルの大合唱にも慣れてきていた。

順調だった。
調査順路を反時計回りにしたことの誤りに気づくまでは。




次号「島の男たち」〜栄光の赤土〜 を待て。

この「カエル日記」、しばらくつづくかも知れないなぁ・・・
あっ、今回は載せる写真がないや!  


Posted by ほんかー at 01:50Comments(4)

2010年09月02日

カエルとり 始めました

と言っても、環境省の関連で「シロアゴガエル」という外来種の生態分布調査と駆除が仕事。
今はまだ調査期間で、この「シロアゴガエル」の鳴き声を聞いて回るという作業だ。
これはボランティアではない。
ちゃんと時給が出るので、これは立派な仕事だ。
石垣へ来て、初の仕事が「カエル調査」というのも悪くない。
それどころか、石垣島の自然にふれる絶好の機会ではないか。

石垣全島調査が遅れているとのことで、急遽お呼びが掛かる。
説明会に行ってみると僕を含め10名ほどが集まった。
ひとりひとりにA3サイズの地図が手渡され、話を聞きながら眺めてみる。
地図は一般の道路地図ではなく、農道の1本までが載せられていた。
縦横500mの網目(メッシュと呼ばれている)が掛けられていて、1枚の地図の中に40個ほどのマスがある。
マスの中には予め、最低1箇所のチェックポイントが記されていて、多いところでは5箇所と集中しているエリアもある。
これを一つ一つ潰して行くわけだ。

石垣全島を区分けすると39枚のメッシュシートができあがる。
(於茂登岳はエリアから外されている。標高526m。沖縄県の最高峰だ)
これを調査員10数名、手分けして作業にあたっていく。
期間は9月いっぱい。
この1枚のシートの中を日没から深夜にかけて、一人で(!)夜な夜なカエルの鳴き声求めて移動するわけだ。
(彼らは夜行性の生き物なので)
想像してみて欲しい。
日が沈みきった真っ暗な田舎道、サトウキビ畑を。
生い茂った草むらの畦道を。
石垣で外灯があるのは、市街地と県道でも集落の近辺ぐらいのものだ。

さすがに初日だけは経験者にくっついて調査した。
昼間は造園の仕事をする彼も移住組で、もう10年も暮らしてるという島の先輩だ。
自宅で畑もやり、石垣の動植物にも詳しい。
鳴き声の聞き分け方や、地図を見るコツなんかも丁寧に教えてくれる。

そして、ソロデビュー。
小回りも利くからスクーターで出かけようと思ったが、熱低の動きが怪しかったので車にした。
自分の調査エリアは於茂登岳の東、底原ダムの南側だ。
石垣に来て、もちろん初めて行くゾーン。

何年前に作った地図かはわからないが、農道など無くなってしまっていることも、初日の調査で身に染みてわかっている。
今日は12マス、潰して行こう。
手始めに、於茂登岳の登山道がある於茂登の集落だ。
地図表記の農道もわかり易く、いいペースで調査が進む。
調査ポイントは事前調査や寄せられた情報を基に決められている。
カエルの生息地の大抵は水場のある所となるが、それも区分として「集水枡」「沈砂池」「その他」と分けられる。
石垣に来て初めて覚える単語だ。

圧倒的に多いのは「サキシマヌマガエル」と「オオヒキガエル」(オオヒキガエルは特定外来生物に指定されていて、来月大々的な駆除作戦が決行される)。
声がデカイ上に合唱するから、人里離れたこういう所ではかなりの大音量で夥しい数に思えてしまう。
(樹林帯などで鈴のような鳴き声を出す「アイフィンガーガエル」が好きだな)
http://www.nat-museum.sanda.hyogo.jp/education/frog/top.html

狙いの「シロアゴガエル」。
彼らは合唱などしない。
仲間が近くにいるとわかると威嚇なのか求愛なのか、単発で鳴く。
この習性を利用して、こちらからボイスレコーダーで鳴き声を再生してコールバックを待つ。
ヌマガエルの鳴き始めが似たような声を出すので、紛らわしい。
コールバックがあると地図上にその方角も記す。
暗闇での作業にヘッドランプは欠かせない。


奈良の大峯山奥駈けを共にした相棒だ。

調査票を書き終え、移動しようとランプを消した。
星。
気がつけば、雲はなくなり一面の星空が現れていた。
半月の少し太った月が、足下に影を作る。
小さい島の中で、今自分が立っている大地と空が果てしないように思えた。  


Posted by ほんかー at 19:21Comments(8)

2010年08月29日

自然観察会

PV初出動は米原ビーチでの「海の自然教室」。
小学生(保護者含む)を対象にしたシュノーケリングだ。

「前日の内に観察コースを決め、ブイを設置したい」との連絡があり、セッティングから参加することにした。
時間だけはあるのだ。

朝、10時。
石垣自然保護官事務所で、ビーチに設営するテントやブイなどの資材と子供たちが使うウエットスーツなどをせっせとトラックに積み込む。
最後にカヌーを被せる形で荷台に固定させる。
ラッシングベルトを使うのも久しぶりだ。
人手が少なく手間取ってしまったが、米原へ向かう。
着いたら取り敢えず昼メシだー!

ヤエヤマヤシ群落のそばの「知花食堂」
(屋根の向こうに見えるのがそうですね)

オバァひとりで切り盛りする人気の食堂だ。
当然昼どきなどは簡単に料理は出てこない。
厨房に入ったオバァは、ひたすらせっせと料理を作る。
焦ってはいけない。苛ついてもいけない。
まずは、自分の分のお冷や(関西弁:水のことです)を入れて、
壁に貼ってあるメニューから選ぶ。
決まったら、食堂と厨房の間の窓口(料理の受け渡し口なんだけど、なんだか窓口に思えてしまうのだ)
で、とにかく大きな声でオバァに注文する。
フライパンを振るオバァは、こちらに背中を向けたままコンロに板付いてるからだ。
必ず、「わかった」と振り向かせること。
これで注文が通った。
と言っても、伝票書くわけでもなくメモも取らない。
他の客の注文と順番がテレコになっても怒らないで欲しい。
お冷や2〜3杯も飲めば出て来るのだから。
ここは石垣。ゆる〜くね。




これが知花食堂の「焼きそば」

喫茶店のナポリタンに見えるが、そうではない。
八重山そばを使った焼きそばだ。
ケチャップとマヨネーズが乗っかってるのも、
「あぁ、オバァが俺のために作ってくれたのだなぁ」とそれまでの空腹感からシアワセ感へと一気にテンションを持ち上げてくれる。
よく見ると、ナゼか梅干しが一個。
これが実にいい。
焼きそばのソース味を驀進する中で、ちょいとひとかじり。
梅干しの酸味が口の中をさっぱりさせると、さらに食欲は増す。
写真でおわかりのように、窓は全開。クーラーなど付けない。
麺を平らげ、残りの梅干しをしゃぶり尽くして、お冷やを流し込むと
この酸っぱさが後味を整え、清涼感さえ感じてしまう。
みそ汁が付いて、大満足の500円。
他に、八重山そば350円!
なんだかグルメレポートみたいだなぁ。

もちろん、観察ルートのブイ設置は楽しく無事終了〜!  


Posted by ほんかー at 14:14Comments(8)